旧南墓地は大公アルブレヒト5世の時代、ペストで亡くなった人たちを埋葬するために造られた。当時は1576-78年に建てられた礼拝堂があったが、1674-81年聖ステファン教会が新たに建てられた。しかし1788年から衛生上の理由で市内の全ての墓地が取り壊され、旧南墓地も1818-21年、グスタフ・ホルヘアによって新たに造り直され、庭園風に整備された。そして1844/45年、フリードリヒ・フォン・ゲルトナーの手によってイタリア様式の、正方形の墓地が新たに造られ、墓地が拡張された。それらは門によって繋がっている。墓地内は公園となっているので散歩や読書をしている人が多い。
また「この墓地はミュンヘンの歴史である」と人が言うようにミュンヘンの歴史に置いて重要な人物や有名人が数多く眠っている。マクシミリアン議事堂を始め多くのマクシミリアン様式の建築物を建てたビュルクライン、バイエルン王1世のもとミュンヘンに数多くの建築物を建てたゲルトナー、クレンツェ、ナツィオナルテアターやプリンツ・カール宮を建てたフィッシャー、新市庁舎や聖パウル教会を建てたハウベリッサー、市内に多くの建築物を建てたザイドゥル、ティールシュ、ツェネティなどの建築家、カウルバッハ、シュピッツヴェック、ロットマン、ノイロイター、シュヴィント、シュティーラー、シュライヒ、ヘスなどの画家、シュヴァンターラー、ボーズなどの彫刻家、フラウンホーファー線を発見した光学士フラウンホーファー、オームの法則で有名なオーム、速記術考案者ガーベルスベルガー、化学者リービヒ、衛生学者ペッテンコファー、神学者デリンガー、メーラー、ニートハンマー、石版印刷を発明したゼネフルダー、哲学者ドイティンガー、歴史学者ゲレス、音楽家ラッハナー、鋳金士ミラー、植物学者マルティウス、外科医ヌスバウム、日本研究で有名なシーボルト、バイエルン州首相プフォルテン、バイエルン辞書の編集者シュメラーなどのお墓がある。
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