散歩 コッヘルの鍛冶屋像 Schmied-von-Kochel-Denkmal |
コッヘルの鍛冶屋像は1906-11年、建築家カール・ザットラーと彫刻家カール・エビングハウスによって建てられた。コッヘルの鍛冶屋像は18世紀初頭のスペイン継承戦争に由来する。その戦争でフランスと同盟を結んでいたバイエルンはオーストリア軍に破れ、ミュンヘンはオーストリアの支配下(1705-15)に置かれる。その際、「皇帝の元で腐っていくよりはバイエルン人としての死を選ぶ」をスローガンに3000人の農民が、1705年クリスマスに蜂起するが鎮圧され、中でもゼントリングに逃げ込んだものは全員虐殺された(これは『ゼントリングの聖夜の悲劇』と言われる)。その中にコッヘル(南バイエルンの地名)の英雄と呼ばれる鍛冶屋バルタザール・マイヤーも参加していた。この像はその200年を記念して作られた。 |
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