やまねこの物語

散歩 プリンツ・カール宮 Prinz-Carl-Palais

レジデンツ横の宮廷庭園とミュンヘン市民憩いの場“英国庭園”との間にある、プリンツ・カール宮は1804-06年、カール・フォン・フィッシャーによって擬古典様式で Abbe Pierre de Salabert のために造営された。彼はかつてのプファルツ大公家(後のバイエルン王マックス・ヨーゼフ1世)の教育係だった。Salabert が亡くなったあとバイエルン王ルートヴィヒ1世の弟であるプリンツ・カールがここに入った。その後はオーストリア・ハンガリーの公使官邸となり、1924年バイエルン州首相ハインリヒ・ヘルトが入居した。1933年ナチスが政権をとった際、特別な催しを開催する場所とされた。1937年9月2日、ここにイタリアのムッソリーニが滞在し、人々は彼を一目見るため宮殿前に集まり、ムッソリーニもバルコニーから挨拶をした。現在はバイエルン政府によるレセプションの表看板として利用されている。

プリンツ・カール宮

プリンツ・カール宮

プリンツ・カール宮

プリンツ・カール宮
 

プリンツ・カール宮

プリンツ・カール宮
バイエルン国旗(州旗)がある

 

 

menu
「散歩」のトップに戻る