やまねこの物語

散歩 “卑怯者の小径” "Drueckebergergasse"
ヒトラーが政権を獲った後、将軍堂横、つまり1923年のミュンヘン一揆で警官隊と衝突した場所であるが、ここを通る市民はナチス式敬礼をすることが義務づけされた。しかしそれを唯一回避する道がこの通りで、ここを通る者は、責任を回避する者、卑怯者とされた。そこからこの名前が付いている。現在、それを伝えるために銅で印が付けられている。

“卑怯者の小径”

“卑怯者の小径”

“卑怯者の小径”

“卑怯者の小径”

 

 

menu
「散歩」のトップに戻る