やまねこの物語

散歩 オクトーバーフェストの起源 1810年

オクトーバーフェストはミュンヘンで行われる世界最大の民族祭りでビール祭りとして知られる。そのオクトーバーフェストの起源は1810年10月17日に遡る。発案者は当時、軍の騎兵部隊少佐であったアンドレアス・デラルミ。彼は皇太子ルートヴィヒ(後の王ルートヴィヒ1世)とザクセン・ヒルトブルクハウゼンの王女テレーゼ・シャルロッテ・ルイーゼの10月12日のご成婚(このお祝いは5日間続けられた)を祝って草原で競馬をする許可をバイエルン王マクシミリアン1世ヨーゼフに求めた。競馬はミュンヘンで昔から続く伝統行事であったが1786年から中止されていた(何故?)。王は許可し、デラルミは第一回目のオクトーバーフェストを企画した。(デラルミではなく農業団体との説も -  翌年からはこの農業団体が主催した)

第一回目のフェスト(競馬)は音楽が演奏され、人々が興奮する中行われた。優勝はフランツ・バウムガルトナー(貸し馬車業、ミュンヘン出身)、2位ゲオルク・リーベル(フィルスビブルク出身)、3位クサファー・クレンクル(園芸業、ミュンヘン出身)だった。この競馬が行われた草原(ヴィーゼ)は花嫁テレーゼの名前にちなんでテレージエンヴィーゼと呼ばれるようになる。この第一回目のフェストの来場数は50000人を数えた(当時のミュンヘンの人口は40000人)。

翌年1811年には、この競馬は日曜日に行われ、翌月曜日には家畜の表彰と家畜市場が開かれた。1812年にはこの祭りは中央農業祭り、もしくはオクトーバーフェストと呼ばれるようになる。1818年には舞台やビールの屋台など飲食店、ブランコ(2台)、メリーゴーランド(1台)などの遊戯施設も建設され、バイエルンを代表する祭りとなったこの祭りは1819年、市によって行われるようになった。1880年電灯が点き、1892年には現在のようなビールジョッキでビールを飲むようになる。

1870年普仏戦争で、1873年はコレラの蔓延によりオクトーバーフェストは中止された。1923年にはインフレにより中止されている(ビール一杯21.000.000マルク)。また二度の世界大戦中も中止され、今までに計25回フェストそのものが中止されている。その他競馬も1913年に廃止され、また家畜市場など中央農業祭は3年に一度実施されるようになった。競馬はオクトーバーフェストから姿を消し、馬は代わって民族衣装パレードで役割を果たすようになった。民族衣装パレードは1835年、バイエルン王ルートヴィヒ1世と王妃テレーゼの銀婚式の際に初めて開催され、第二次世界大戦後1950年からは毎年行われるようになった。

第二次世界大戦後、1950年市長トーマス・ヴィンマーは新たな伝統を作った。つまり16日間行われるフェストの第一日目正午ちょうどに市長がビア樽の栓を開けてフェストを始めるというものだ。1980年には爆弾テロがあり犠牲者が出た。1984年にはビールが初めて金属コンテナから提供されるようになる。現在ではミュンヘンとその周辺の街の人口を全て併せた数の5、6倍の数の人がオクトーバーフェスト会場にやってくる。遊園地の規模も年々大きくなり、飲み物もビールだけでなくワインや紅茶、コーヒーなどもあり大人だけでなく子供も、またビールを苦手とする人も楽しめるお祭りとなっている。

 

オクトーバーフェスト

1888年のオクトーバーフェスト会場
王ルートヴィヒ1世の生誕100周年(1786年誕生)
記念の花火大会
1886年に王ルートヴィヒ2世が亡くなったので
延期されていた

オクトーバーフェスト

1900年頃のオクトーバーフェスト

オクトーバーフェスト

1910年のオクトーバーフェスト

オクトーバーフェスト

現在のオクトーバーフェスト

オクトーバーフェスト会場

オクトーバーフェスト会場

 

 

 

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