やまねこの物語

散歩 ミュンヘンの大火

1327年2月13日の夜から14日にかけてミュンヘンを大火が襲った。出火元はアンガー修道院(現存しない)のパンを焼く建物。当時の大部分の家は低い天井の木造で屋根は葦や柿板で覆われていたので、火はあっという間に燃え広がった。当時の家々の3分の一が被害に遭い、王宮(アルターホーフ)、聖ペーター教会、後の聖霊教会付属病院になる建物、アンガー修道院も被害を受け、この火災で30人が犠牲となった。

当時ミュンヘンを支配していたルートヴィヒ4世バイエルン公(1314年ドイツ王、1328年神聖ローマ帝国皇帝に選出される)は市議と会議を開き、1342年5月ミュンヘン初の建築法を制定した。それによると新しく建設される建物は石造でなくてはならず、屋根は瓦で覆うこととされた。それまであった小径も道幅を広くし、木造の屋台も禁止された(しかしこれらは金銭的問題から全てが実行されたわけではなかった)。ここに現在のミュンヘンの(特に旧市街の)街並みの基礎が出来上がる。

記録によるとこの1327年の大火以外に、1418年、1429年、1434年、1599年、1674年、1729年、1750年にも大火が記録されている。

ところで、上記の建築法が制定される前、まだルートヴィヒが兄のルドルフ1世とミュンヘンを共同統治していた時の1315年、ルートヴィヒはドイツの首都としてミュンヘンをより強固に、より美しくするため街の改革を行った。マリエン広場はその誕生時から木造の小屋が建ち並び、主に肉屋などが商売をしていた。ルートヴィヒはそれらを中心部、つまりマリエン広場周辺から立ち退きさせ、タル橋の門近く、現在の聖ペーター教会の裏手に当たる場所に引っ越しさせた。聖霊教会の正面に当たるこれら肉屋は現在もかわらずその場所にある。

アルターホーフ

アルターホーフ(旧王宮)

皇帝ルートヴィヒ像

皇帝ルートヴィヒ像

肉屋

聖ペーター教会裏手にある数軒の肉屋
(ヴィクトァリエン市場方面から)

 

 

 

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