やまねこの物語

散歩 レジデンツ通りの幸運のライオン

バイエルン州立歌劇場やレジデンツ(宮殿)正面入り口があるマックス・ヨーゼフ広場から北方面、つまりオデオン広場方面に延びる道はレジデンツ通りという名で、この道はレジデンツに沿って続いている。そこには紋章を持った4体のライオンの銅像があり、このライオンの持っている紋章にあるライオンを触ると幸運がもたらされるという言い伝えがある。(ライオンの像がいつごろ作られたかは不明。17世紀のレジデンツの絵には既に描かれている。)

この言い伝えは19世紀のある出来事に帰する。1848年ドイツ国内にドイツ統一の気運が拡がりドイツで三月革命が起こった。ミュンヘンでもその革命の余波を受け不安定な時期であったが、バイエルン王ルートヴィヒ1世(1786-1868)は踊り子ローラ・モンテス(1818-1861)に夢中になり、また彼女に王室財産をつぎ込むようになり、政治的にも彼女の影響力が大きくなった。

ルートヴィヒ1世の時代、彼の芸術庇護のもとミュンヘンは大きく発展した。レジデンツの完成、アルテ・ピナコテーク、グリプトテークなどケーニヒ広場周辺、ミュンヘン大学、州立図書館、ルートヴィヒ教会建設などルートヴィヒ通りを造営し、ミュンヘンに新古典主義をもたらし、ミュンヘンは『イザール河畔のアテネ』と呼ばれるに至った。

踊り子に熱を上げるルートヴィヒ1世に対し、一人の学生が王を誹謗する手紙を書き、それをレジデンツの壁に貼り付けた。王は犯人を捜すため1000グルデンの金額を使い、4人の犯人と思われる人を逮捕した。これに対し、真犯人の学生は王に自首した。というのは、王をはじめ色々な人々が、彼の行動、すなわち誹謗の手紙を書き、それをレジデンツに貼るということを一人でやったのではないと信じていたのに対し、彼が侮辱を感じたためだった。一国民の勇気ある行動に感銘を受けた王はその学生に褒美を与えた。その学生はレジデンツから去るとき、感謝と幸運の気持ちからライオンの鼻を撫でた。その後王は退位した。

というわけで、このライオンの像は幸運をもたらす像とされ、現在も多くの人がその像を撫でている。ライオンの像といっても、銅像部分ではなく、ライオンの像が手に持つ紋章にあるライオン像であり、街ゆく人がここを撫でるため、そこの部分だけ光っている。また同じ方向を向いたライオンでもその表情などは異なる。

レジデンツ通りのライオン

レジデンツ通りの4体のライオン
オデオン広場からマックス・ヨーゼフ広場方面を望む
 

レジデンツ通りのライオン

レジデンツ通りの4体のライオン
オデオン広場方面を望む
 

レジデンツ通りのライオン

レジデンツ通りのライオン
 

レジデンツ通りのライオン

レジデンツ通りのライオン
 

ライオンを触る人

ライオンを触る人
 

ライオンを見る人

ライオンを見る人
 

ライオンと記念撮影する人

ライオンと記念撮影する人
 

ライオンを触る人

自転車に乗りながらライオンを触る人
 

ライオン背面

ライオン背面とテアティーナ教会

ライオンとルートヴィヒ1世像

ライオンとルートヴィヒ1世像(写真左)

 

 

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