やまねこの物語

散歩 ミュンヘン市創設 1158年

ミュンヘン市の歴史は暴力行為によって始まった。1158年、イギリス王の娘婿であったバイエルン・ザクセン大公ハインリヒ獅子公はフライジング司教のイザール川にかかる橋に火を付け破壊した。その後そこから少し離れたムニヒェン(現ミュンヘン)のイザール川に新たな橋を建設した。この行為の裏には、主に塩輸送の税関橋を建設するという経済的な動機があった。その後、ここには人が入植し現在のミュンヘンの核が形成される。

公式なミュンヘンの歴史は1158年6月14日に始まる。当時の神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサは先に挙げたオットー・フォン・フライジング司教とバイエルン・ザクセン大公ハインリヒ獅子公の争いに対し、次の裁定を下した。新たに建設された橋はそのままにし、バイエルン大公はミュンヘンの税関で得た収入の3分の一をフライジング司教に支払わなければならないと。皇帝が自らの手で記したこの文書によってハインリヒ獅子公の暴力行為が正統的に認められた。

ハインリヒ獅子公がイザール川に橋を建設したのと同時に市場が作られ、貨幣も新たに制定された。その後には市壁も築かれる。ハインリヒ獅子公が橋を建設した場所には、その後何度も橋が建設され、現在は1935年に建設されたルートヴィヒ橋がかかっている。この橋の市内側には「筏流し(1892年エバーレ製作)」「工業(1892年カウフマン製作)」「文化(1979年ディッツ製作)」の3つの寓意的な像がある。またそこにハインリヒ獅子公がミュンヘン市を創設したとも説明されている。

このミュンヘン誕生以前、ミュンヘンの場所は1000年より以前テーゲルン湖のベネディクト派修道院の入植地とされ、彼らはそれを「Apud Munichen」と名付けた。その僧侶の姿は現在のミュンヘン市の紋章となっており、市の至る所、例えば地下鉄などの交通機関、マンホールのふたなどにも見ることが出来る。更に時代を遡ると「ゼントリンク」「シュヴァービング」など現在も用いられる地区名が782年には既に文書に書かれていた。

ミュンヘン市が1158年に創設されたと歴史的に伝えられるのと同時に、それより以前ミュンヘン市は存在していなかったか、長年に渡って研究されたが、1857年に「1158年創設」が確認され、1858年6月14日にミュンヘン市創設700周年が市によって祝われた。その後この市創設記念祭は現在も続けられている。

ミュンヘン市の紋章

ミュンヘン市の紋章
中央に僧侶

ハインリヒ獅子公像

ハインリヒ獅子公像

ルートヴィヒ橋

ルートヴィヒ橋

ルートヴィヒ橋にある像

ルートヴィヒ橋にある像

マンホール

マンホール

 

 

 

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