やまねこの物語

散歩 大公ヴィルヘルム5世のご成婚 1568年

16世紀ルネサンス期、神聖ローマ帝国皇帝カール5世がボローニャからアウグスブルクへ向かう途中、ミュンヘンに立ち寄った。その際、皇帝は大砲や兵士(約1600人)を伴って市に入城し、ミュンヘン市民もそれまで体験したことのないくらい街を挙げて皇帝一行を歓迎した。それはそれまででミュンヘン最大のお祭りとされていたが、その38年後の1568年、バイエルン大公ヴィルヘルム5世(在位1579-97)のご成婚の際は、皇帝一行を歓迎したとき以上に市民は豪勢かつ華やかにお祝いし、まさしく中世ミュンヘン最大のお祭りとなった。

1568年2月、大公アルブレヒト5世(在位1550-79)によって行われた、大公ヴィルヘルム5世と公爵令嬢レナータ・フォン・ロートリンゲンのご成婚の際には5600人以上の騎士が参加し、市の中心マリエン広場では14日間、馬上試合が行われた。これはそれぞれ80人ずつの騎士が対抗戦のようにして行なわれたが、その際みな、カーニヴァルの時のように仮装した。現在、ミュンヘン新市庁舎塔にある仕掛け時計の上段がその馬上試合の模様を表している。

式は馬上試合以外にもイエズス会演劇、即興喜劇、オルランド・ディ・ラッソの音楽演奏会などが催された。この式のため、レナータ嬢は、321人、446頭の馬を伴ってダッハウ方面からミュンヘンに入城し、その他二人のオーストリア大公も344人、1502頭の馬を、アウグスブルクの枢機卿は116頭の馬を伴ってミュンヘン市にやって来た。彼ら貴族だけでなく多くの住民もミュンヘンに集まり、このお祝いだけ232頭の牛が調理され、400皿の料理が出された。式は豪勢かつ華やかに行われたが、そのための費用も莫大な金額になり、式の最終日にはそれに関して誰も口にすることが出来なくなっていた。その金額はレジデンツの屋根の高さを超えてしまったと言われたほどに。

その後1579年からミュンヘンを統治した、そのヴィルヘルム5世のもと反宗教改革が進められ、その一環として聖ミヒャエル教会が建設された(1597年完成)。この教会はアルプス以北で最も重要なルネサンス教会として建てられ、また教会横にはイエズス会の学校としてアルテアカデミーが建設された。その結果ミュンヘンはカトリックのシンボルと位置づけされていくが、同時にこれらの建設によって財政は破綻寸前に陥った。ヴィルヘルム5世とレナータ夫人は現在、聖ミヒャエル教会地下にあるヴィッテルスバッハ家の墓所に眠っている。

仕掛け時計

新市庁舎塔にある仕掛け時計

聖ミヒャエル教会地下にあるヴィッテルスバッハ家の墓所

聖ミヒャエル教会地下にあるヴィッテルスバッハ家の墓所

 

 

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