やまねこの物語

散歩 ディーナー通りとライオン

ミュンヘンの最も古い通りの一つに、街の中心マリエン広場から延びるディーナー通りがある。かつてここには本物の生きたライオンがいた。アルトバイエルン(旧バイエルン)の紋章にはライオンが描かれているが、大公ルートヴィヒ厳格公(1229-1294)は紋章だけでなく、アルターホーフ(王宮)前のアルテンホーフ通りとブルク通りの角にライオン用の飼育小屋を立てることを思い付き、それと接するようにディーナー通りにはライオンの飼育場が作られた。当時、王宮(アルターホーフ)の南側の窓からはそれを望むことが出来た。

その300年後、大公アルブレヒト5世(1550-1579)がミュンヘンを統治していたときは、ミュンヘン市民もライオンの雄叫びを聞くことが出来た。というのは、この大公はライオンを犬のように飼い慣らし、通りをも散歩させていたからだ。現在アルターホーフとブルク通りの角は「Loeweneck ライオンの角」と呼ばれるが、それは上記の話に由来している。

ところでドイツ語でディーナー Diener とは「召使い」や「下男」という意味があるが、ミュンヘンにあるディーナー通りの名前の由来は、「召使い」ではなくてかつての名家の名前に由来する。1355年の市の文書には既にその名前が見られ、現在ミュンヘン郊外アリングにある教会にもそれを見ることが出来る。これは彼が1422年9月21、22日に起こったブルーテンブルクの戦い、アリングの戦いで大公ルートヴィヒに対し勇敢に戦ったとの話が残っているからだ。

ディーナー通りには、そのディーナーだけでなく、他の名家、例えば Impler インプラー家も住んでいた。彼らの家はマリエン広場との角に建ち、銅版画で飾られた美しい出窓のある建物であった(その建物は新市庁舎建設のため1865年取り壊しされた)。ディーナー通りには彼ら以外にも名家が住み、またテリング伯爵夫人といった貴族の住まいもあった。ところで現在財務局となっているところには、かつて門を伴った塔があった(1842年倒壊)が、そこを過ぎると通りの名前がレジデンツ通りと変わる。

ところでディーナー通り中心にある建物は1700年の市の文書に既にカフェハウスと記されてあり、この建物は現在 Dallmayr ダルマイヤーとなっているが、当時のカフェハウスが、選帝候マックス・エマヌエルが捕虜としてミュンヘンにつれてきたトルコ人によるものかは現在も分かっていない。

ディーナー通り

ディーナー通り

アルターホーフにあるライオンの入った紋章(左)

アルターホーフにあるライオンの入った紋章(左)

ディーナー通り

ディーナー通り
赤い橋は2002年7月に開催された
第一回建築週間の時のもの
右がダルマイヤー

ディーナー通り

ディーナー通り
同左

 

 

 

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