やまねこの物語

散歩 造幣局での事件 1906年

かつてのヴィッテルスバッハ家の居城アルターホーフ近くに建つミュンツホーフは大公アルブレヒト5世(1550-79)のもと、彼のための厩舎、宝物庫として1567年建てられた。これがバイエルンで最も古い博物館となったが、その後1809年ここに王立造幣局として利用されるようになった(1983年まで)。1906年、その造幣局で世間を騒がした事件が起きた。9月のある日の朝6時半、当直の役人が造幣局の検査室に足を踏み入れると、前日までそこにあった金貨の入った袋が全て空っぽになり、窓の横に置いてあった木箱も中身が全て空っぽになっていた。

その事件の前日夜、彼(役人)はいつもより仕事が長引いたので、金庫にお金を入れるという決まりを守らず、王オットーの肖像が刻印された金貨130.030マルクを床の上に置いておいた。金庫を閉めるためには滑車を使って非常に重い鋼鉄の蓋を持ち上げなければならなく、それは非常に時間のかかることであった。しかしそれによって金貨は安全に保管された。

造幣局に泥棒が入ったというニュースはあっという間に広まり、一体どのようにして犯人が侵入したのか、近くを流れる小川をどのようにして通過したかなど色々調べられた。刑事達は小川の川床の足取りを追っただけでなく、水車の中まで徹底的に調べたが、結局足取りはつかめず、そこから刑事達は犯人が建物に詳しい人物、つまり造幣局の内部にいるのではないかという考えに至った。

ちょうどその時、シュヴァービングの被服廠の陸軍軍曹に当たる人物が警視の所にやってきて、ある兵士のことを伝えた。ヴィルヘルム・ケーニヒという兵士が9月20日の夜から21日まで兵舎の外で過ごしたこと、彼が早朝、汚れた衣服で、また長靴を履いて兵舎に戻ってきたところを目撃されていたということ、また造幣局で働いている労働者と一緒に帰ってきたことが報告された。直ぐに兵士ケーニヒは尋問され、そして彼の彼女の部屋からは王オットーの肖像の刻印の入った金貨76.000マルクが発見された。

同時に警察は造幣局で働いていたヴィルヘルム・ルッフという男を取り調べた。彼は一週間に23マルクの給料があったが、彼はそれを賭博に使い込んでいる生活を送っていた。彼は9月25日逮捕された。しかし、残りの金貨は何処に行ったのか?兵士ケーニヒは警察にそれを示した。英国庭園側にある獣医学校の壁、南西角の地から、木で覆われた54.030マルクの金貨が無傷で発見された。

1906年11月7日に行われた裁判でヴィルヘルム・ケーニヒは犯行について正確に述べた。彼は共犯のルッフによる計画でもって小川を使って建物に侵入した。建物内に水を引く水車のところでランタンに火を付け、作業水路の中から朽ちた木製のドアを開けて建物内に入ったとのことである。裁判ではケーニヒとルッフは想像されていた以上に穏やかな刑を言い渡された(何故?)。10年の懲役刑がケーニヒが4年2ヶ月、ルッフが4年6ヶ月の刑ですんだ。この話は歴史家によって伝えられ、後に「金狐」というタイトルで映画化された。

ミュンツホーフ

ミュンツホーフ

天蓋付き回廊

ミュンツホーフ

 

 

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