やまねこの物語

散歩 電気が引かれる 1882年

1882年、第一回国際電気博覧会がミュンヘンのガラス宮殿(現在の旧植物園公園にあった建物。1931年焼失)で開催された。9月15日、57キロ離れたミュンヘン近郊のミースバッハにフランス人技師Marcel Deprezによって設置された発電機から2本の電線がガラス宮殿に繋げられ電気を流す実演がなされた。多くの人が見守る中、ガラス宮殿内にある人口滝が電力で稼働し、ここに世界で初めての実用電線が引かれることとなった。

また電気はガラス宮殿だけでなく、その周辺(ブリーンナー通り、アルチス通り、カール通り、ゾフィエン通り)の街灯にも流され、ミュンヘン初の電気による街灯が設置された。またガラス宮殿からはサーチライトによって聖母教会の塔がライトアップされた。ガラス宮殿内では王立劇場(現在のバイエルン州立歌劇場)からのオペラを聴くことが出来、このガラス宮殿周辺は王都ミュンヘンの一つの観光名所となった。

この博覧会には後にドイツ博物館を設立した技師オスカー・フォン・ミラー(1855.5.7-1934.4.9)が多大な貢献をし、市は彼に1000マルクの報酬を与えた。しかしこの博覧会では75000マルクの利益があり、色々な人の助言などにより彼は一時ミュンヘンを去ることに決めた。その後バイエルンは彼抜きで電気事業を発展させなければならず、それは容易なことではなかった。ミュンヘンではミュンヘン・ガス会社という民営会社が1899年まで独占的に事業を進め、1893年になってようやくミュンヘンの旧市街地区にある街灯が電化されるに到った。しかし、当時まだミュンヘンの一部ではなかったシュヴァービングは80年代に既に街灯が電化されていたので、ミュンヘンの電気事業は遅れていた。

ミュンヘンの電気事業が民営企業の独占であったが、劇場は例外で、1883年5月21日、レジデンツ劇場で多くの招待客を前にして照明実験が行われ、そして成功した。その実験から4日後には劇場内に766個の白熱電球が取り付けられた。1885年には王立劇場にも電球が取り付けられ、上演がなされた。

ところでシュヴァービングの街灯の電化を進めたのは、アインシュタイン兄弟(有名なアインシュタインの父親と叔父)の会社で、彼らは1885年のオクトーバーフェストで初めて電気の街灯(アーク灯)を導入するのに成功した。彼らは会場から6500メートル離れた場所に蒸気発電機を設置し、16本の電灯に灯りをつけた。

その後、トラムの電化などにより、街に電気の導入が進められたが、個人で利用するには非常に値段が高く、電気を導入する住居の数も1900年になって初めて118738軒あるミュンヘンの住居のうち2000軒(ホテルや商店も含む)が加入するに到った。

世界初の実用電線の碑

世界初の実用電線の碑

ガラス宮殿

1891年のガラス宮殿

 

 

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