やまねこの物語

散歩 美しき塔

1175年ミュンヘンに城壁が築かれた。ミュンヘンで最も古いこの城壁には幾つかの塔付きの門があり、その一つに、街の西門にあたるクフリンガー門があった。(この門と街の中央であるマルクトを結ぶ通りはクフリンガー小径と呼ばれていたが、14世紀以後はミュンヘンの名家であるカウフィンガーの名前を取って、門および小径はカウフィンガー門、カウフィンガー小径となる。現在、通りの名はカウフィンガー通り。)

そしてカウフィンガー門は1479年に建て直された際、壁にはフレスコ画が描かれ、それ故この門は一般的に「美しき塔」と呼ばれるようになった。ところで中世には、この美しき塔の直ぐ側に金細工士の作業場があった。ある日、彼の所に高貴な人が高価な貴金属を持って現れ、彼に同じものを作るようお願いをした。金細工士はその作業を始めたが、ある日、作業場からその貴金属が無くなってしまっているのに気が付いた。高貴な人はその金細工士が窃盗したと訴え、金細工士は無実を主張したものの、死刑判決を受けた。

その死刑執行日、彼は美しき塔の門を通ってミュンヘンの城壁外側に連れられ、死刑執行の鐘が鳴る中、彼は処刑され、そのまま城壁外に埋められた。暫くした後、美しき塔の改修工事が行われた。その工事の際、左官職人が塔に登ると天井部分からカラスが飛び出していき、そしてその巣を調べると、そこには金細工士によって盗まれたとされた高価な貴金属があった。貴金属の発見によって、処刑された金細工士の無実が証明されたことになり、その後ミュンヘンは街を挙げて、処刑された金細工士のための葬儀を行った。この事件によって美しき塔は人々の心の中により強く印象づけられることとなった。

カウフィンガー門は1807年カウフィンガー通り拡張の際、取り壊され、現在地面にはその塔跡の印が残されている。

カウフィンガー門

カウフィンガー門

カウフィンガー門の碑

カウフィンガー門の碑

カウフィンガー門跡

カウフィンガー門跡

カウフィンガー門跡

カウフィンガー門跡

13世紀のミュンヘン

13世紀のミュンヘン
一番左にクフリンガー門

カウフィンガー門
カウフィンガー門
この当時はまだ尖塔ではない
17世紀のミュンヘン

17世紀のミュンヘン
中央がカウフィンガー小径、中央左下に門

 

 

 

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