やまねこの物語

散歩 バヴァリア像の建設 1850年

バヴァリア像はバイエルンの女神としてテレージエンヴィーゼに立っているが、これはバイエルン王ルートヴィヒ1世の命で作られた。彼は1825年、ギリシャ・アテネのアクロポリスにある像に似た、銅像の製作を思い立った。そして1843年、バヴァリア像を囲む名誉堂の建設が始められ、翌44年、バヴァリア像の建設が始められた。名誉堂を建設するクレンツェは当初、像をギリシャ風で小さなものと考えていたが、王はローマ風に巨大なものを作ろうと考え、その製作をルートヴィヒ・フォン・シュヴァンターラーに依頼した。

バヴァリア像の建設は始められたが最大の問題は、その鋳造であった。そこでその仕事は鋳金工であるフェルディナント・フォン・ミラーに任された。彼はそのために、海に沈められたトルコ軍艦の大砲を使って製作することにし、そこから約1750ツェントナー(1ツェントナー = 50kg)という大量の金属を造りだしたが、バヴァリア像製作は容易には行かず、彼は何度も仕事を諦めようとした。しかし王は諦められず彼を何度も励ました。

そして何度も挑戦した後、遂に360ツェントナーの量でバヴァリア像上半身の鋳造に成功した。その時、その高温に熱せられた金属でバヴァリア像の製作をしている建物屋根を支える骨組みが燃えてしまったが、バヴァリア像製作は上手くいった。そして1850年10月9日、当時世界最大18メートルのバヴァリア像は除幕された(最終的に1560ツェントナーの量を使用)。しかし製作を担当したシュヴァンターラーは既にその2年前に亡くなっており、またルートヴィヒ1世も既に王ではなくなっていた(1848年からはマクシミリアン2世)。かつての王はその序幕祭典を非常に喜び、また市民も一緒になって喜んだ。

バヴァリア像は長い衣装と熊の毛皮を身にまとい、上に上げた左手には勝者の印である樫の葉の冠を持ち、右手には剣を持っている。横にはバイエルンの紋章(の動物)であるライオンが座っている。ところでバヴァリア像内部には階段があり頭部の所には展望台がある。126段の階段を登ったところにある展望台からは市内中心部を一望することが出来る。

バヴァリア像と柱廊
バヴァリア像と名誉堂柱廊
バヴァリア像
バヴァリア像

名誉堂にあるバイエルン王ルートヴィヒ1世の胸像

名誉堂にあるバイエルン王ルートヴィヒ1世の胸像

名誉堂にあるシュヴァンターラーの胸像

名誉堂にあるシュヴァンターラーの胸像

名誉堂にあるミラーの胸像

名誉堂にあるミラーの胸像

バヴァリア像台座螺旋階段
バヴァリア像内台座内部螺旋階段
バヴァリア像螺旋階段
バヴァリア像内部螺旋階段
バヴァリア像展望台
バヴァリア像展望台
バヴァリア像展望台にある碑
バヴァリア像展望台にある碑

 

 

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