やまねこの物語

散歩 聖母教会の建設 1488年

ミュンヘンのシンボルである聖母教会 Frauenkirche (Dom zu Unserer Lieben Frau) は15世紀、現在の聖母教会の場所に建っていたマリア教会が手狭になったため新しく建築された教会である。当時のミュンヘンの人口は僅か13.000人にもかかわらず市民の自負心を満足させる巨大な教会を造ろうと言うことになった。というのは1389年にはランズフートに、1410年にはノイエッティングに新しい教会が建てられ、またレーゲンスブルクやインゴルシュタットでも巨大な教会建設が始まり、ミュンヘンとしては大公領の首都として他の街に負けるわけにはいかなかった。

そしてマリア教会は取り壊され、1468年2月9日の午後2時から3時の間に、大公ジクムントによって定礎式が執り行われた。しかし当時ミュンヘンを統治していた大公アルブレヒト4世はそのことを知らず、2月12日になってようやく、シュトラウビングから定礎式の命を出した。アルブレヒトの兄であるジクムントは政治などに興味はなく、勝手に定礎式を行っていたのだった。しかしアルブレヒトの命が出て正式に建設作業が進められた。

新しい聖母教会の設計・施工は当時、ポリング市の建築職人であったイェルク・ガングホーファーが選ばれた。その彼への報酬は年間8マルク(第一次世界大戦前の160金マルクに相当)と決められ、彼はその仕事を引き受けることにした。しかし、ここで問題が起こった。その巨大な教会建設のための費用や資材を誰が出すのか。結局、それは教会建設を望んだ市民負担となり、そのため物の売買に関する税率が引き上げられた。また市民が建設作業に手を貸さなければならなかった。しかしこの教会建築には教皇シストゥス6世の援助もあり、こうしてミュンヘンに聖ペーター教会、聖霊教会、聖ヤコブ教会に次ぐ4つ目の教会建設が進められた。

そして工事が始まってから10年後、ようやく教会の屋根が完成。そして更に10年後の1488年、二つの塔が完成した(聖別式は1494年4月14日)。この教会の大きさは奥行き109メートル、間口40メートル、天井までの高さは31メートル。20.000人の信者が入ることが出来る。また塔は北塔が99メートル、南塔が100メートルの高さがある。今日の教会の鐘形屋根は1524年に完成した。その後、多くの宗教関係者や建築家がこの教会を訪れ、そのことに対しミュンヘン市民は非常に満足した。

しかしこの教会にやって来たのは彼らだけではなかった。天にそびえ立つ巨大な教会が出来たという噂を聞いて悪魔もやってきた。教会内部は三身廊からなり22本の八角形柱は意図的に見せかけの壁のようになっている。また聖堂入り口からは側廊と窓は見えず、現在ある内陣の窓もかつては大祭壇の後ろに隠れて見えなかった。悪魔は窓が“忘れられた”ことを大いに喜び、あまりに足を強く踏みならしたので聖堂入り口に足跡が残った。これが現在も残る「悪魔の足跡」である。現在、聖母教会の塔が遠くから見渡せるように、ミュンヘン市内中心部の建築の高さは最高36メートルと条例で決められている。

聖母教会

中央左に聖母教会

聖母教会中央身廊

聖母教会中央身廊

悪魔の足跡

悪魔の足跡

マリエンゾイレと教会の塔

マリエンゾイレと教会の塔

13世紀のミュンヘン

13世紀のミュンヘン
左上にマリア教会が見える

 

 

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