やまねこの物語

散歩 オクトーバーフェスト爆弾テロ 1980年

世界最大の民族祭り、ビール祭りとして知られる、ミュンヘン・オクトーバーフェストは1810年にルートヴィヒ1世とテレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン王女のご成婚を祝って始められた。その伝統あるオクトーバーフェストで事件があった。1980年9月26日金曜日の22時19分(公式終了時間の11分前)、会場正面入り口直ぐ側にあるごみ箱に仕掛けられた爆弾が爆発した。その時、会場入り口付近はフェスト終了で帰宅する人の波が出来ており、爆発で周囲30メートル以上が破滅的状態となった。そのあとには合計約450以上の犠牲者の身体の一部が散乱していた。

この突然の爆発によって5人の子供少年を含む13人が犠牲になり、214人の重傷者(両足を失う者、手を失う者など)が出た。これはドイツ連邦始まって以来最大のテロとなり、すぐさまこの爆弾テロが個人によるものか団体によるものか捜査が始まった。その結果、直ぐにテュービンゲンで地学を勉強する21才の学生の犯行と分かった。彼は法律で禁止されている右翼グループに参加していた。また彼は1.39キログラムの TNT で自ら爆弾を製作し、結局自らも爆弾の犠牲となった。色々な方面への捜査の結果この爆弾テロは最終的に個人による犯行と発表された。

この爆弾テロで翌日オクトーバーフェストは中止となり、ミュンヘンには当時の西ドイツ連邦首相シュミットやバイエルン州首相フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスをはじめ、多くの政府関係者などが駆けつけた。追悼ミサの模様は ARD 、ZDF を通じてドイツ全土に放送され、また全国からの義援金は170万マルクにのぼり、バイエルン州政府も特別費用として50万マルク計上した。現在、オクトーバーフェスト会場であるテレージエンヴィーゼの北側にはオクトーバーフェスト爆弾テロで犠牲になった方々への追悼碑が建てられてある。

 

オクトーバーフェスト

オクトーバーフェスト

オクトーバーフェスト

オクトーバーフェスト

オクトーバーフェスト会場

オクトーバーフェスト会場

オクトーバーフェスト・テロ犠牲者追悼碑

オクトーバーフェスト爆弾テロ犠牲者追悼碑

 

 

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