やまねこの物語

散歩 二つの芸術展 1937年

ワイマール共和国時代、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が議会で政権を執る以前からアドルフ・ヒトラーはしばしば「ドイツ固有の文化を大切にし、芸術を育てなければならない」と芸術の意義、文化の重要性について演説している。ヒトラーは国家の理想・理念を具体化するものとして芸術作品をとらえ、祖国ドイツの大地に根ざした文化こそ最上であるとの認識を持っていた。

そのドイツ芸術を具体的に展覧するためにナチス政権時ミュンヘンで『大ドイツ芸術展』が開催された。会場としてトロースト女教授の手で4年の歳月をかけ1937年美術館「ハウス・デア・ドイチェン・クンスト(現ハウス・デア・クンスト)」<ドイツ芸術の家(現、芸術の家)>が完成された。この美術館の落成を祝いミュンヘン市は全市を挙げて祝福し、意匠を凝らした伝統的衣装で約3キロにも及ぶ華麗な大仮装行列や記念コンサートなどを実施した。同年7月18日午前11時、ヒトラーは美術館「ハウス・デア・ドイチェン・クンスト」の落成式に出席し、演説をして「ドイツ文化の2000年」という標語を揚げた『大ドイツ芸術展』の開催を宣言した。

同時に(当時の)ミュンヘン大学考古学研究所付属の展示室(実際は石膏模型の収納室として使用されていた。)では翌日(7月19日)から『頽廃芸術展』が開催された。ドイツ造形美術院総裁アドルフ・ツィーグラーが「ドイツ国民よ、来たれ、そして自ら判断せよ!」と開幕演説を行った。

『大ドイツ芸術展』『頽廃芸術展』どちらもナチスによって開催された芸術展だが、展示物の内容は大きく違っていた。ヒトラーは絵画や彫刻に写実性を求めていた。つまり本物そっくりの作品は「素晴らしい!」と賞賛され、逆に表現主義などの内面を重視した作品(主に近代芸術 <モダン・アート>)は「何が描かれているかよく分からない」と芸術としては認められなかった。

すなわち「素晴らしい!本物そっくりだ!」とされた作品は、その展示のために年月をかけて建てられた美術館「ハウス・デア・ドイチェン・クンスト」において優秀なドイツ(ゲルマン)民族の作品として展示されたが、逆にヒトラーにとって「何だこれは?」といった作品(近代芸術)は前記の展示室(石膏模型の収納室)の『頽廃芸術展』で展示された。そのことによって(本物そっくりの写実的な)ドイツ芸術は素晴らしい芸術であり、(何が描かれているか理解しがたい)近代芸術は石膏模型の収納室という汚い場所にふさわしい芸術だという印象を国民に与えようとした。

『頽廃芸術展』ではゲルマン民族の理想に反する芸術として、シャガール、クレー、キルヒナー、ゴッホ、ピカソ、セザンヌ、ノルデ、ブラック、ベックマン、カンディンスキーなどの作品が見せしめとして展示され、また精神に障害を持つ人達の絵も展示された。『大ドイツ芸術展』『頽廃芸術展』はどちらも同年10月31日まで開催され、前者は約42万人の、後者は200万人の入場者があった。『頽廃芸術展』には多くの人が訪れたが、特にイギリス人、アメリカ人が多かった。彼らは集められた非ナチス芸術、すなわち近代芸術に関心を持っていた。

『大ドイツ芸術展』はミュンヘンで開催されたものが第一回となり1944年まで毎年開催された。『頽廃芸術展』やそれとよく似た芸術展はドイツ各地で開催され、ナチス芸術をドイツ国民だけでなく世界中の人々に印象づけた。ミュンヘンは印象的な第一回『大ドイツ芸術展』が開催された場所として、またナチズム発祥の地として「ドイツの中でも最もドイツ的な街」として位置づけされるようになった。

ハウス・デア・クンスト

ハウス・デア・クンスト
この階段を降りているヒトラーの写真は
よく本などで見られる。

ハウス・デア・クンスト

ハウス・デア・クンスト

頽廃芸術展の会場

頽廃芸術展の会場

大ドイツ芸術展への記念パレード

大ドイツ芸術展(1937年)への記念パレードの様子
ケーニヒ広場にある看板の写真から

1930年代後半の“芸術の家”

1930年代後半の“芸術の家”

 

 

 

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