トーマス・マン Thomas
Mann (1875.6.6-1955.8.12) |
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リューベック生まれのトーマス・マンは彼の父の死後、家族でミュンヘンに引っ越しした。彼は1894年ミュンヘン保険会社で見習いとして働き、1898-99年風刺雑誌の編集者となる。1905年に結婚し、ここで彼は大きく飛躍する。『ブッデンブローク家の人々』(1901年)、『ヴェニスに死す』(1912年)、『魔の山』(1924年)と作品を世に送り出し、1929年ノーベル文学賞を受賞する。しかしナチズムの発展を機に1933年ミュンヘンを離れる。左の写真は『ブッデンブローク家の人々』を書いた家にある碑。 |
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ミヒャエル・エンデ Michael
Ende (1929.11.12-1995.8.28)
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バイエルン州ガルミッシュ・パルテンキルヒェン生まれのミヒャエル・エンデは2歳の時にミュンヘンに引っ越しする。第二次世界大戦中(終戦前)反ナチスグループに参加。戦後ミュンヘンの演劇学校に入学し、後に、歌や小劇を書く。『ジムボタンの機関車大冒険』がドイツ児童文学賞を受ける。ミュンヘンにはミヒャエル・エンデ博物館とエンデのお墓(森林墓地)がある。 |
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エーリヒ・ケストナー Erich
Kaestner (1899.2.23-1974.7.29)
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ドレスデンで生まれたエーリヒ・ケストナーは第二次世界大戦後ミュンヘンに定住した。1945-48年、新聞の文芸欄の編集長となる。またミュンヘンの寄席などにも協力した。1949年には『二人のロッテ』を発表する。1974年になくなるまでミュンヘンに住んでいたケストナーのお墓はボーゲンハウゼン地区聖ゲオルグ教会にある。また彼の住んでいた家が残る。 |
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ハインリヒ・ハイネ Heinrich
Heine(1797-1856)
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ミュンヘンで一時期生活をしていた(レヒベルク宮殿に滞在していた)彼はバイエルン王ルートヴィヒ1世のもとで大学教授になる夢を持っていたが実現しなかった。彼が住んでいた場所にはその碑があり、またフィナンツ庭園にはハイネ記念碑がある。 |
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ゲーテとシラー
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ゲーテはミュンヘンを訪れているが、シラーは不明。かつてカール広場北にはバイエルン王ルートヴィヒ2世の命によって建てられたゲーテ像があったが現存しない。シラー像はバイエルン王ルートヴィヒ1世の命によって建てられたもの。 |
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ライナー・マリア・リルケ Rainer
Maria Rilke(1875-1926)
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ミュンヘンに1914-1919年の間住んでいたリルケの家がある。 |
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マックス・ヴェーバー Max
Weber(1864-1920.6.14)
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ミュンヘンに1919-1920年の間住んでいたヴェーバーの家がある。 |
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リオン・フォイヒトヴァンガー Lion
Feuchtwanger (1884.7.7-1958.12.21)
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ミュンヘンで生まれた作家リオン・フォイヒトヴァンガーはミュンヘンで最も有名なユダヤ人で、ベルリンで文献学と哲学を勉強したあとミュンヘンに戻り、1927年まで過ごした。1930年の作品『Erfolg』でミュンヘンについて、当時の歴史(インフレの時代、ヒトラーの一揆)を叙述し、ナチスの危険性を説いている。アメリカ・カリフォルニアに亡命したときの隣人はトーマス・マン、カティア夫妻であった。 |
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アンネッテ・コルプ Annette
Kolb (1870.2.3-1967.12.3)
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ミュンヘンで生まれた女性作家アンネッテ・コルプはドイツ人とフランス人の親を持つ。第一次世界大戦で平和を訴えた。第二次世界大戦後はいくつもの自伝の中で女性の運命を描き、また歴史的なテーマ(ルートヴィヒ2世、リヒャルト・ヴァーグナーなど)についても書いている。翻訳家としても有名。彼女のお墓はボーゲンハウゼン地区聖ゲオルグ教会にある。 |
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ゴットフリート・ケラー Gottfried
Keller (1819-1890)
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「緑のハインリヒ」で有名なスイスの作家、ゴットフリート・ケラー(1819-90)が1840年ミュンヘンで住んでいた家がある。 |
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フランク・ヴェーデキント Frank
Wedekind (1864-1918)
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作品「春の目ざめ」などで有名なドイツの劇作家フランク・ヴェーデキント(1864-1918)が住んでいた家がある。 |
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ルートヴィヒ・トーマ Ludwig
Thoma (1867.7.21-1921.8.25)
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ミュンヘンで林学と法学を学んだルートヴィヒ・トーマは1893-99年の間、ミュンヘンとダッハウで弁護士として働いた。1899年に政治雑誌の編集を引き受け、1907年には雑誌『三月』の編集者の一人となる。彼はユーモアのある諷刺的な詩、小説、物語を執筆した。左の胸像は名誉堂にあるもの。 |
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