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古代〜市創設期
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紀元前4千年
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現在のミュンヘンの土地に人がいたという最も古い記録。
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紀元前6世紀
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この頃からイザール河畔にケルト人が徐々にやってくる。
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古代ローマ時代
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古代ローマ人がイザール川を「Isara
rapidus」と名付ける。
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5〜6世紀
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バイエルン人の祖先であるバヨウァリイ人がやってくる。彼らの名残は「-ing」という地名にある。例えば「シュヴァービング」「ギージング」「パージング」「ゼントリング」「アウビング」など。
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10〜11世紀
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イザール河畔に僧侶のいるところを意味する“ムニヘン”ができる。ここはテーゲルン湖修道院の入植地。彼らはその入植を「Apud
Munichen」と名付ける。僧侶の姿は現在の市の紋章になっている。
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1158
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ヴェルフェン家のハインリヒ獅子公により町成立。文書で初めて“ムニヘン”の文字が認められる。バイエルン・ザクセン大公はイザール河畔のフライジング司教の税関橋を破壊。代わりにミュンヘンに橋、市場、町の外壁を建設し貨幣を新たにした。6月14日皇帝フリードリヒ・バルバロッサが市場と貨幣を承認。
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1175
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第一城壁築造される。
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1180
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バイエルン、ハインリヒ獅子公追放後、ヴィッテルスバッハ家(プファルツグラーフであるオットー・フォン・ヴィッテルスバッハ)の支配下になる。
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1181
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聖ペーター教会についての記述がある。
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1214
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文書でミュンヘンが初めて市とされる。
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1221
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初めてのミュンヘン大火。
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1230頃
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マリア教会(後の聖母教会)定礎式。
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1239
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5月28日初めての市の印章、文書。
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ヴィッテルスバッハ家王宮地になり発展時期
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1255
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バイエルンの領地分配によりルートヴィヒ2世厳格公がオーバーバイエルンを支配し、ミュンヘンはヴィッテルスバッハ家の王宮所在地となる。
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1280
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文書の中でミュンヘンに初のビール醸造者が確認される。
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1285
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12月10日シナゴーグで180人のユダヤ人が焼死。
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1286
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ミュンヘン初の議会。
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1285-1315
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街は発展し、第二城壁築造される。
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1314
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ルートヴィヒ4世がドイツ王に選ばれ、ミュンヘンがドイツの首都となる。
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1327
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2月13、14日街の大部分が火災で焼失し多数の犠牲者が出る。
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1328-50
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ルートヴィヒ4世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれる。ミュンヘンは神聖ローマ帝国の首都となる。
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1330
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イザール門建設。
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1340
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市としての特権が与えられる。このとき市の色(市の旗)が黒と金になる。
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1345
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キリスト教徒の子供に対し祭式的殺人がユダヤ人によって行われているという噂が拡がり、ユダヤ人への迫害。
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1365
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ミュンヘン初の市長。
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1369
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ミュンヘンの人口が10000人を越える。
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1371
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ミュンヘンに21軒のビール屋が確認される。
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1385
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レジデンツの建設始まる。
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1394
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ミュンヘンに初めて舗装された道が出来る。
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1395
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26480台の馬車、3310人の運送屋が確認される。
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1397-1403
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ミュンヘンで初めての革命。ツンフト(手工業者の組合)による。
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1407
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街は塩の納屋を建設。
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1412
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2125団体(住民10000人に相当)に納税義務。
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1422
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インゴルシュタットのルートヴィヒ大公がミュンヘンを攻撃しようとする。
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1428
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聖体行列の始まり。
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1429
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キリスト教フス派に対する危険から街を守るため市壁を強化。
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1442
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ユダヤ人が街から追放される。
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1448
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初の競馬。
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1460
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初めてミュンヘン市での内部抗争の中止が決められる。
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後期ゴシック期
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1467-1508
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大公アルブレヒト4世賢王の統治下、グラッサー、ポラック等芸術家によるゴシック様式美術の最盛期を迎える。
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1468
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聖母教会定礎式。
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1470
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市庁舎(現、旧市庁舎)の建設。
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1475
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旧市街地区での豚の飼育が禁止される。
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1482
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ミュンヘンで初めて本が印刷される。
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1487
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11月30日大公アルブレヒト4世は「Preu
Aid」というミュンヘンのビール純粋法を発布。
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1491
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Nicolaus
Cusanus 制作の中部ヨーロッパの地図に初めてミュンヘン(Monacum)が記載される。
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1493
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世界年代史に初めてミュンヘンの絵が記載される。
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1500
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バイエルン初の金貨。
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1500年頃
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ガスタイクから市内に水が引かれる。
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1505
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ランズフートの継承戦争後、ミュンヘンはバイエルン同盟の首都となる。人口は13500人。
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1516
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4月23日ヴィルヘルム4世によってバイエルン・ビール純粋法が制定される。(現在もドイツ全土でそれは守られている。)
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1517
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ペストの流行が終わり、いわゆる桶屋の踊りが始められる。
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1519
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ミュンヘンでルター文字による印刷。
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1530
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皇帝カール5世がミュンヘンに来る。
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1534
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Simon
Scheidenreisser がミュンヘン市の書記となる。彼によってドイツで初めて『Odysee』がドイツ語訳された。
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ルネサンス期
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1550-79
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アルブレヒト5世、反宗教革命を唱える。レジデンツ内にエジプト美術収集館設立。
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1568
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大公ヴィルヘルム5世とレナータ・フォン・ロートリンゲンが結婚。
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1578
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ミュンヘンで初めての魔女裁判。
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1579-90
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ヴィルヘルム5世の時代、ミュンヘンはアルプス以北でカトリック、ルネサンス文化の中心地となる。聖ミヒャエル教会建立の結果、国立銀行破綻。
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1587
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1月1日塩の専売権が市から大公に移る。
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1589
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大公ヴィルヘルム5世、ホーフブロイハウスを建設。
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1609
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カトリック同盟の成立。
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1618-48
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30年戦争。
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1619
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塹壕構築作業が始められる。
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1632
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5月16日スウェーデン軍ミュンヘン入城。17日、王グスタフ・アドルフによるミュンヘン占領。
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1634
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ペスト猛威を振るい、人口の3分の一にあたる7000人が死亡。
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1638
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11月8日マリエンゾイレの聖別式。
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バロック期、バイエルン王国期
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ヴァイマール共和国期、第三帝国期、第二次世界大戦後〜現代
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