やまねこの物語

散歩 近代におけるミュンヘンとユダヤ人

15世紀バイエルンからユダヤ人は追放されたが、18世頃には再度増え始め当時バイエルンを統治していた選帝候マックス・エマヌエルは新たに1715年ユダヤ人に対する追放令を発した。しかし18世紀中頃後半、ミュンヘンには再びユダヤ人が住むようになった(タル地区13番地)。彼らは多くの場合宮廷関係者、例えば宮廷に品物を納品する者などで、選帝候が個人的に保護していた。1798年にはユダヤ人35家族がミュンヘンに住むようになった。

19世紀の始まりと同時に劇的な変革が起こった。バイエルンは新たに王国となり(1806年)、フランスの影響で進歩的で近代的な啓蒙国家となった。領土的にもフランケン地方と、シュヴァーベン地方の一部をバイエルンに併合した。しかし同時に、それらの地域はバイエルンから追放されていたユダヤ人が多く住んでいたため、バイエルンは多くのユダヤ人を抱え込むこととなった。1805年ミュンヘンのユダヤ人に関する規則が定められ、1813年にはユダヤ人勅令が全バイエルンに発せられ、ユダヤ人の行動の制限、禁止事項などが決められた。

1815年、39人のユダヤ人はミュンヘン・イスラエル宗教団体を設立した。その創設は先述のタル地区13番地で行われ、まず始めに議論されたことはミュンヘン周辺のユダヤ人墓地に関するものだった。それらの一つ、旧イスラエル墓地は現在閉鎖されたが、ガルヒング通りの新イスラエル墓地は現在も使用されている。1997年にはヴァルトフリードホーフ(ヴァルト墓地)にもユダヤ人墓地区が設置された。

ミュンヘン・イスラエル宗教団体が設立されて9年後の1824年になるとミュンヘンにも新しいシナゴーグの建設要求が強くなり、ミュンヘンで近代初のシナゴーグ建設が計画され、それに関してミュンヘン市も承認した。というのはユダヤ人はそれまで小さなシナゴーグや各々個人で礼拝を行っていたため、ユダヤ人の状況について市が把握するのが難しく、これによってユダヤ人の状況を管理しようとする意図があった。

しかし建設場所に関して市とユダヤ人は対立し、結局強制的にフラウエン通り近くに建設が決められた。ここはその数年前に市壁が取り壊された場所であり、ミュンヘン市内としては最も外側に当たる場所であった。1826年シナゴーグは完成し、聖別式の際、ここにバイエルン王ルートヴィヒ1世と王妃テレーゼが現れた。その後バイエルン王家ヴィッテルスバッハ家とユダヤ人との良好な関係が続いた(バイエルン最後の王ルートヴィヒ3世は例外)。しかし職業的にもユダヤ人は依然差別され、また多くのユダヤ人は強制的に国外追放され、一部の家系だけが国内に定住することを許された。

ところで先に名を挙げたバイエルン王ルートヴィヒ1世は美人好きで有名(ニンフェンブルク城の美人画ギャラリーなどを造らせた)だが、ユダヤ人女性ナネッテ・カウラ(1812年ミュンヘン生まれ、通称ナニー)にも惚れ込み、王は当時17歳の彼女の肖像画をヨーゼフ・シュティーラーに描かせ、それを美人画ギャラリーに掛けていた。しかしバヴァリア像の落成式の際(1850年)、ルートヴィヒ(既に王ではない)は再び彼女に会ったが誰だか全く分からず、彼女にお前は誰かと、質問した。彼女は「あなたは私の肖像画を描かせました」と答えたが、ルートヴィヒは「そのようなことは、決して決して断じてない!」と強く否定したという話が残っている。

1871年ドイツ帝国成立と同時にユダヤ人は法的に他民族と同等に扱われることとなった。これにより法律上ではユダヤ人は解放され、多くの人はユダヤ人がドイツ人のなかに取り入れられたと考えた。同時にドイツ市民はユダヤ教に理解を示すことも出来た。長い間、大変な苦労と困難があったが、ついにユダヤ人は他民族と同等に扱われることとなった。しかし一般市民の間には未だ中世から続く反ユダヤ主義が残っていたのも事実であった。

ミュンヘンでもユダヤ教は堂々と礼拝に参加することが出来るようになり、1887年、古いシナゴーグ(現在空き地)の代わりにカール広場近くに新たにミュンヘン中央シナゴーグを、後にヘアツォーク・ルドルフ通りにもオヘル・ヤコブ・シナゴーグを建てた。1900年頃ミュンヘンには約9000人のユダヤ人が生活しており、1910年頃にはその数は11000人までになった。これは当時の人口(590.000人)の1.9パーセントを占める(現在ユダヤ人の数は約6000人で人口の0.5パーセント)。またそこに東ヨーロッパから大量のユダヤ人「東ユダヤ人」が移住し、彼らはミュンヘンのユダヤ人団体の中でも多数派の一つとなり、ゲルトナー広場近くにミュンヘンで3つ目のシナゴーグを建設した。その後ミュンヘンにはイスラエル病院、ユダヤ人孤児院、老人ホームなどが建設され、その一部は現在も利用されている。

・「中世におけるミュンヘンとユダヤ人
・「近代におけるミュンヘンとユダヤ人」
・「二つの世界大戦期におけるミュンヘンとユダヤ人
・「ミュンヘンの著名なユダヤ人

・「ミュンヘンとユダヤ人」トップ

ミュンヘン中央シナゴーグ

ミュンヘン中央シナゴーグ

オヘル・ヤコブ・シナゴーグ

オヘル・ヤコブ・シナゴーグ

 

 

menu
「散歩」のトップに戻る